俺は床屋だ。毎日、人の頭を刈っている。米所として知られた北陸の港町に、万代理髪店という名の慎ましい床屋を構えて早十年。今じゃ馴染み客の名前ばかりか、好みの髪型から応援している野球チーム、はたまた飼ってる犬猫・金魚の名前まで、きちんと覚えられるようになった。寂びれかけた商店街の一角に小さな店を構え、『下町の床屋に明日はあるのか?』という難題を抱えながら、それでも日々細々と生きている。 昨今、カリスマ・ヘア・アーチストなんぞという言葉がもてはやされているが、俺はどう背伸びをしたってカリスマにはなれそうもない。あるとき、近くの高校で英語を教えているという若いイギリス人がやって来た。サッカーボールを小脇に抱え、仰々しいユニフォームなんぞ着ているものだから、俺はてっきりベッカム・ヘアを御所望かと思って、内心大いに焦っちまった。なにしろあんなテクニカルな髪型なんざ、ここみたくちっぽけな床屋じゃあ、とうてい太刀打ちできるわけがない。やっぱりカリスマのところへ行くべきだ。悔しいが、できないものはできない。だからきっぱり言ってやった。 「ウチじゃ、ベッカムみたいにはできませんよ」 そうしたら当の御仁、青い目をぱちくりさせながら曰く、 「ミジカクシテクダサイ」それはもう流暢な日本語だった。 「おや、短くしたらよいのかい? なんだ、そういうことならお安い御用だ」 俺は手にした鋏で亜麻色の髪をチョキチョキ切って、たちまち角刈りにしてやった。なにしろ角刈りは俺の十八番ときている。そうしたら当の御仁は、鏡を見るなり、たいそう喜んでくれて、 「マタキマスノデ、ヨロシクオネガイシマス」と礼儀正しく言い残して帰った。 以来、アジアだの欧米だのから来た若い連中が、 「ミジカクシテクダサイ」などと言いながら、ちょくちょく顔を見せるようになった。聞けば、近所で外国人を中心とするサッカーチームを組んだそうな。海外どころか県外すらとんと縁のないこの俺も、こうして少しばかり異文化交流なんてものに貢献している次第。 あちこちの床屋で下積みしながら、休日には近所の飲み屋でバイトまでしてこつこつ貯めた金で、この小さな床屋を開いたのが十年前。俺が三十五の時分だ。そうして今じゃ、若い店員を一人雇うまでになった。宮浦浩太という。駅前の専門学校でヘア・メイキングなんてものを学んでいた、もうすぐ二十一になろうっていう若造だ。この宮浦、時々店長の俺にすら真似できない立派な髪型をこしらえる。外見はみすぼらしい半端なロックシンガー。けれども理髪の腕に関しては、俺が太鼓判を押している。こっちが職人ならば、あっちは芸術家ってところ。この宮浦の手にかかると、来店したときには気弱なウサギみたいだったお客の頭が、帰るときには威張り散らしたライオンみたくなって帰ってゆく。あまりの変わりざまに俺はちょいとばかり不安になり、手招きして宮浦を店の奥へと呼び込んだ。 「お前ね、ここは芸術家のアトリエじゃないのだから、実験なんぞしないでおくれ。あんな髪型こしらえたら、年取ったお客が腰を抜かすじゃないか」と俺が言ってやったら、 「あちらのお客がとにかく派手なものにしてくれって言い張るものですから、こっちも理髪師の面目にかけて、思いきり派手なものをこしらえてやったんすよ」と宮浦は答える。 事実、ライオンみたくなったお客は、 「おや、よくやってくれた。見事だ。なんだか妙に若返った気がするよ」と言って、たいそうご満悦。どうやら俺なんかより宮浦の方が、理髪師としてのセンスってものがあるらしい。 |