林(ハヤシ)‐上巻‐

あるいは串刺し球根の「後可能的」な逸脱




立ち読み



私は林の中に迷い込んでいた。もっとも私は木々の間を通り抜けていたというよりは、むしろ(どちらかというと)それを取り囲み、またしばしばそれらの一つ一つを縦に貫いてさえいたのであって、実際上それらは私にとってどんな意味においても何ら障害≠ナあると言うべくもないものであったのだが、それでもなお私が林で迷って≠オまったということに私は尋常でないほどの興味を抱いていたのだった。

〈 現実問題として私はむしろ木々を私の中に次々と激しく取り込んでさえいるのです 〉と私は依然としてほとんど不自然なほど林の中を迷い続けながら考える〈 しかしそれでもなお林≠ェ私をがんじがらめにしているというのは一体どういうことなのでしょうか? 思うにこれは林℃ゥ体の問題であるというよりは(どちらかというと)林全体があらゆる方向に向かってその土台から沈み始めているということを意味していると考えられ(つまりそうしたことからすると)私は木々≠ニいったものとはまた別の形において至るところ行き詰まり(林そのものからは離れたところで)当惑≠オていたということなのかもしれません(すなわちその場合、私は林の中で迷っていたというよりは、林一面に開いた陥没=mそしてまたそれらが接続≠ウれたところの一種のトンネル=nの中において迷って≠「たのだ、ということになるでしょう)・・・〉

しかし林≠サれ自体は本当に私にとって何の障害≠ナもなかったのだろうか? 確かに私は個々の木々においてその前≠ノいることができるのと同様にその後ろ≠ノいることもできたし、ふと気がつくと、すべての枝の先端においてまるで満開の花のように無数の私が存在していたかと思うと逆に根っこの先において激しく振動≠オているといった形で(私は)木々全体とかなり自由にリンクしていたのであるが、よくよく気をつけてみると個々の木々の内部においても、また林¢S体としても、必ずしも私が自由に流れていけるとはいえない部分≠烽オくは領域≠ニいったものも所々に存在していたのであり、どうやら私は陥没≠ノおいて迷っていると同時に(やはり)林そのものにおいても完全にスムーズに流れていくことができるというわけではなかったかもしれないのだった(もっともそうした[いわば]固い&舶ェや領域というものも、ひょっとしたら何らかの形で[林における]陥没≠ニいうものと関係しているのかもしれなかったが、そうした点については[一体どうなっているのか]私にもよくわからなかった)。

いずれにせよ(何らかの形においてとにかく)私は林の中で確実に迷ってしまっていたのであるが、気がつくと私はほとんど信じられないほど深々と地中に打ち込まれてしまっており、残ったほんのわずかに露出した部分を幾体かの(まるでクズ紙のようにその全体が[隅々まで]びりびりと破れてしまっている)者たちが取り囲み、細長い串≠フようなもので(それ自体もよく見るとやはり隅々まですっかり破れてしまっていたのであるが)次々とそれ(即ち私の露出部分)を突き刺していくのだった。

「あなたたちもきっと林の中で迷ってしまったのに違いありません」と私は立て続けに刺し込まれる串≠ノよってほとんどたわし≠フようになりながら言う「あなたたちがそのようにびりびりになってしまったのも恐らくはまず間違いなく林の作用=iもしくは陥没≠ノよる不断の圧力[又はねじり上げ])等によるものであったことは明らかなのです。そして今やあなた方は私を林に打ち込み″Xには串で固定≠キることによって私もまた自然な形で破けていくようにしているのだと思われますが、逆に私はむしろどちらかというと串を糧としてあなた方の目論見を出し抜いていこうかということも考え始めているのです」

「私たちは林の中で迷って≠「るというよりは、むしろ元々から林の内部に住み着いている(いわば)林の原住民であると言えるでしょう。(そして)あなたをここに固定≠オているという件についてですが、私たちの意図というのはそのこと自体であるというよりは、むしろあなたを一種の球根≠フようにしてここから更に林を押し広げていこうということであると言えるでしょう。というのも私たち原住民にはそれ自身様々な種類≠ェあって、それぞれが林の中で(非常に複雑に入り組んだ)固有の動作域≠ニいうものを持っているのですけれども、林全体がもともとかなり限られたものであるうえ(基本的に)林そのものが自然な形で外へと拡大していくということもあまりないようなので(少なくとも私たち原住民の中ではそのように考えられています)少しでも我々自体の動作域≠拡大しようとするならば、林の中の他の種類の原住民を私たちの種類の中へ取り込んでしまうか、そうでなければあなたのような球根≠支点として林を(内側から)無理やり膨らませていくしかないのだ、というわけなのです(むろん私たちは他の種類の原住民を取り込む≠ニいう活動もしばしば行っていますが、それによって原住民は整理≠ウれるどころか逆にその種類はますます増えていってしまう結果となっているようでもあるので、結局私たちは[より地道な]球根活動≠ヨと[ごく自然に]移行していくことになるのでした)。しかし(当然ながら)球根≠ヘ(決して)どんなものでもよいというわけではありません。これに関する基準については原住民の種類によって微妙に(もしくはかなり)違っているのですが、我々の種類≠ノおいては、これは一応次のようになっています:

@球根≠ヘ基本的に林の中で迷って≠「るものでなければならない
A球根≠ヘ林の土台深く打ち込まなければならないため、できる限り引き伸ばし可能なものであるべきである
B球根≠ヘ光り輝いていなければならない。光り輝いていない球根≠ヘ直ちに破壊するか、もしくは何らかの形で強制的に光り輝かされていなければならない・・・

その他その光り輝き方や色合い、そして(球根≠フ)細かな形態に到るまで様々な多くの指定があり、私たちはそれに基づいて球根≠厳密に選定していかなければならないのです(もっともそうした指定≠ノも何らかの決定版≠ェあるというわけではなく、その多くはある種の伝承≠ノ基づいたやや曖昧なものであるため[おそらくは私たちの単純なカン違いによって]間違った球根≠選んでしまうといったこともしばしばだったのですが)。ところであなたに関して問題であるのは、確かに最初に一瞬見かけたときはなんとなく(少なくともその末端あたりにおいて)光り輝いているような感じもしたのですが(実際のところその全体が光り輝いているような球根≠見つけることなどはめったにないので、現実には一部分でも光り輝いていれば規準内≠ナあるということにしてしまう場合が多いのです)今ではそれがウソか虚妄のようにあなたは(全体的に)その隅々までもがすっかりどんよりしてしまっているということなのであって、私たちが今あなたに串≠刺していくというのもそうしたあなたを再び光り輝かせようとするための一つの試みであるということができるのです(もっとも実のところすべては私のカン違いで、あなたははじめからただの一度も光り輝いてなどいなかったかもしれないのですが、そうした球根≠烽アのような串刺し≠ノよって突然[思いがけなく]光り輝き始めていくといったことも私たちは何度か経験しているのです)」

(『林(ハヤシ)‐上巻‐』より)



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